島のアクセサリーの歴史と文化

八重山ミンサーの模様

ミンサー 模様

古来八重山地方にて、かつて通い婚の風習があった時代に、男性に求婚された女性がその返事代わりに幅の狭い織物を織り、男性に贈っていたことから、綿で出来た幅の狭い織物→「綿狭」(みんさー)、「ミンサー」となったといわれています。

柄の特徴として五つの■が「いつの」を表し、四つの■が「世」、短い横縞を連続させる「ヤシラミ(ムカデの足)」柄は、「足しげく」を意味します。よって『いつの世までも足しげく私のもとに通って下さい』という意味がありました。

また、藍を何度も重ねて染めることから、「愛を重ねて」という意味も含まれるといわれています。

ミンサー織りの歴史

ミンサー 夏川りみ 紅白 衣装

確かな時期は分かっていませんが、八重山で木綿の栽培が始まった約400年前だといわれています。一説によると、アフガニスタンからネパール・インドで織られていた獣毛を岩料で染めた細幅織物が仏教伝来の折に、海路である八重山・沖縄地方に伝わり綿糸と相まって八重山織・ミンサー織となったといわれています。八重山ミンサーは現在主に竹富島、西表島、石垣島ですべて手仕事で作られています。用途としては、「ミンサー帯(みんさーふ)」など沖縄の伝統的な帯などのほかに、バッグや財布、衣服やインテリアにも使用されています。当店のあるユーグレナモールの通路の床もミンサー柄のタイルで飾られています。石垣島出身である夏川りみが2002年NHK紅白歌合戦で初出場の際、ミンサー柄の衣装をまとって「涙そうそう」を歌いました。

守り神シーサーの役割

沖縄 シーサー

建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられる伝説の獣の像。仏教の影響か、阿吽像一対で置かれるのがほとんどです。阿吽の違いにより雄雌の区別があり、色々役割があると言われています。一般的に口の開いたシーサーが雄で向かって右側に置き、福を招き入れ、口を閉じたシーサーが雌で左側に置き、あらゆる災難を家に入れないとされているが、これによっては議論があるといいます。

シーサーの歴史

最古のシーサー

シーサーのはじまりは『琉陽』という書籍によると、1689年(元禄2年)、当時火事が勃発して難儀していた人々が風水師に助言を求めたところ、その風水師は八重瀬岳(沖縄本島南部)の影響によるものといい、これを防ぐには獅子の像を作りその山に向けて設置するようにと助言しました。住民がその言に従ってシーサーを設置したところ火事は発生しなくなったといいます。

なお、そのシーサーは現存最古のものとして八重瀬町(旧東風平町)富盛地区というところにあり、沖縄県指定有形文化財に登録されています。またその高さは1.4mほど、全長は1.75mと最大のシーサーともいわれています。

シーサーの表面には複数の穴が開いており、それらは第二次世界大戦の1945年沖縄戦にて旧日本軍が八重瀬岳に陣地を設置した際、対するアメリカ軍がこのシーサーを弾避けにして日本軍の様子を伺っていた時に穿たれた弾痕であるそうです。

石敢當とは?

石敢當と書かれた壁

沖縄の家々でよく見かける「石敢當」と書かれた石碑。

もともと中国伝来の風習で、福建省が発祥とされており、泰山の頂上にも石敢當が存在しています。

「石敢當」の名前そのものの由来は、後漢代の武将の名前や名力士の名前ともされるほか、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来しているなど、様々な説があります。

沖縄県ではその存在意義や効果がいまだに根強く信じられており、丁字路や三叉路で大小様々な石敢當を見ることが出来る。沖縄では市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると、向かいの家に入ってきてしまうと信じられています。そのため、つきあたりに石敢當を設け、魔物の進入を防ぐ魔よけとしています。魔物は石敢當に当たると砕け散るそう。